時代は音を立てて変化している
これ、どっかの偉い人が最近使っているのを見て、パクろうと思っていたフレーズなんだけれど、今まさに自分が直面しているのは音を立てて変化している現場なんじゃないのかっていう話。
なんというか、最近は毎晩ユニットバスのシャワーを流して、その下で体育座りして考え事をしているのが当たり前になっていたんだけれど、そうやって考え事をしていたことが翌日には歯が立たないってことがよくあるわけ。
そんなことが仕事だけの話なのかといえばそうではなくて、今気になっている方との距離感?とか想定していた1日の流れとかとか、あらゆることにあたるわけ。
正直、やっていることベースで言えば、シャワー下の禅問答はもう完全に意味が無くなってると思う。けれども、そうやって心を整理してやらないと、心の器から中身が溢れて決壊してしまうんじゃないかなんて思うわけ。
なにか、これを建設的なものとするのであれば、音を立てて変容していく自分の周りに追いついた禅問答が出来ればいいんじゃないかって思う。
けれどもそんなことできる?って思うわけ。
同じ限りの情報しか持ってなければ、そこからどう考えればバッサリと髪の毛を切ってるなんて予測できるわけ??
そんなもん最早エスパーだよって思う。
恋はエスパーってか。まさしく↓これ↓
になれなければやっぱりいつまでも童貞かな